【LGBT】カミングアウトだけが道じゃない。ゲイの私なりに性に向き合う方法を考える。

カズマ

こんにちは。カズマです。大学生です。

最近、TVやSNSを通してLGBT当事者たちが活動する姿をみかけるようになってきました。

若者たちの間で言えば、YouTubeでも人気のKemio(ケミオ)さんが記憶に新しいところですね。

そうやって当事者たちが表立って活動している背景をみると、

私もあんな風にオープンに生きてみたい。でもカミングアウトが怖い。。

そういう考えをする人は多くいるんじゃないでしょうか。

以前の私はそうでした。

でも今の私はその発言に少し違和感を感じるようになりました。

なぜなら、今の私は「カミングアウトは必要ないんじゃないか」と思うからです。

なので今回はその理由と違和感について話したいと思います。

LGBTを受け入れようという流れから感じる無意識なプレッシャー

LGBTの活躍と取り組みからくるカミングアウトへのイメージ

冒頭でも話したように最近はメディアでのLGBT当事者の活躍が増えてきました。

私たちLGBT当事者の存在は単なる知識(あ、そんな人も世の中にはいるのか)というレベルから、実際に近くにいることを実感・認識するレベルになってきたのかなと思います。

例えば現在就活中の私の身近にあるものとしては、

「LGBTフレンドリー企業」や地元での「パートナーシップ制度成立」などが挙げられ、まだメジャーな流れとまでは言えないものの、こういった取り組みも注目を浴びているのは間違いないと思います。

さらに、国家レベルでの大きな話題となったのは

フィリピン大統領が東京で在日フィリピン人を前に発言した「私もかつてゲイだった」というような発言や、

現在進行形で起きているアメリカでの大統領総選挙も、候補者の一人は同性愛を公表している方であることなど、

ほぼ話題性に欠かない状況になっていますね。

そういう社会の大きな流れを見ていると、つい「カミングアウトして社会で活き活きと働く自分」をイメージしてしまうの私だけなのでしょうか?

おそらく多くの当事者は同じようなイメージを持つはずです。私がそうでしたから。

では、あなたはカミングアウトをする人に対してどう思いますか?

たぶん、そこで出てくる答えに私の違和感の正体と、なぜ私がカミングアウトをしないのかについての理由があります。

カミングアウトは「偉い、かっこいい」?

一年前に、私の友人がカミングアウトをした際に返ってきた言葉は

「かっこいいな!偉いよ!言ってくれてありがとう!」というものだったらしいです。

たぶん、LGBT当事者もノンケ(ストレート)も、多くの人がカミングアウトをすることに対してそんなイメージを思い浮かべるのではないでしょうか。

おそらくこの記事を読んでいるあなたも、その一人かもしれません。

私はそこに落とし穴があると思っています。

というのも、

カミングアウトに対して「偉い、かっこいい」といったイメージは、カミングアウトを「した方がいい」「しなきゃいけない」といった無意識的な責任感のようなものに変わる可能性があると思うからです。

メディアで活躍している人、あるいは身近でLGBT当事者であることを公表している人を見て、なぜかそれを自分に重ねてしまった私たちLGBT当事者は

「カミングアウトをする」というタスクを自分から背負っているんじゃないでしょうか。

でも、このカミングアウト、本当に必要なことなのでしょうか?

ノンケ(ストレート)の人もLGBT当事者の人も、まだ「カミングアウトが偉い」という気持ちがあったとして「カミングアウトはするべき」だと思いますか?

LGBT当事者のカミングアウトは必要なのか?

結論から言うと、私はカミングアウトは必要ないと思います。

性別も私の個人情報の1つ。なんで公にするの?

そもそも自分のセクシュアリティは、私たちの1つの側面でしかないと思うんです。

別に公表する必要もないし、公表したところで変わらないものもたくさんあるはずです。

こう考えるんです。

「わざわざカミングアウトするメリットは?」

「カミングアウトしたら、偉くなれるのか?」

例えば仕事。仕事において同僚や上司から恋人のこと、好きな人のことを聞かれること、たくさんあると思います。

適当に受け流せばいいんです。嫌いな人と話しているときみたいに。興味のない人と話しているときみたいに。

だって、仕事は仕事だから。

内情を持ちこむ必要性ってどこにあるのでしょう。カミングアウトをする必要ってっどこにあるのでしょう。

考えてみてください。

例えばカミングアウトして社内で認知してもらったとして、嫌いだった上司を好きになると思いますか?

どうでもよかった人に急に興味がわいてくるってあると思いますか?

極論を言えば、カミングアウトすればメディアに移るLGBT当事者のようなキラキラ??した人生が訪れると思いますか?

私は何も変わりませんでした。

カナダの日本食レストランで実際に起こりましたが嫌いなマネージャーは相変わらず嫌いだったし、毎回「彼女いないの?」と聞いてくる上司の言葉も、「彼氏いないの?」と代名詞が変わっただけで何も変わりませんでした。

だから、苦しい思いをしてまでカミングアウトする必要はないと思います。

わざわざ「私はゲイです!男が好きです!」なんて言う必要ないです。

何も変わらないから良いという人がいるかもしれません。

でも、何も変わらないのに必死で悩んで一生をかける思いでカミングアウトをする必要が、どこにあるのでしょうか。

カミングアウトしても、その先の未来が明るくなる補償なんてどこにもないんです。

「隠している」という意識で自分を追い込んでいる

最近は自分がLGBT当事者だと公表していない人のことを、「クローゼット」という言葉でラベリングする流れができているようです。

公表していない、つまり「隠している」という自覚というか、認識がしっかり自分の中に刻まれているこの状況は少し悲しいような気がします。

「カミングアウトしなきゃ!」「カミングアウトした方がいい!」という意識が原因で、していない自分は「隠している」んだという風に考えてしまうのではないか。。

でも、それっておかしいなって思ってて、私たちは隠しているんじゃなくて公表していないだけなんです。

少し考え方を変えてみると、私たちの周りにいるみんな、自分の性の好みを公表している人なんていないと思うんです。

会社や友人と話しているとき、恋人の話題になって彼氏・彼女の話をする人がいたとしても、その人たちは実際に口から「私はノンケ(ストレート)です。」なんて言ったことはないでしょう。

ひねくれた考えだとは思います。

でも、そういう考え方をすれば、LGBT当事者だということを「隠している」という意識も少しはなくなるんじゃないかなと思います。

たまに思うのは、私は「自分で自分を追い込んでいた」んじゃないかってことです。

ゲイである私は普通なんだ、当たり前なんだという意識

私自身、カナダに行くまではゲイである自分にかなり否定的で抵抗感がありました。

高校時代なんて、自分自身にすごく不快感を感じて誰にも言えずに抱え込みました。

「自分は普通じゃないのか?」と思ったことさえあります。

女性の身体を見てもなんとも思わないし、周りの男子が好きな女の子の話とかをしていても全く面白くありませんでした。

そんな気持ちも、カナダにワーホリに行ったことをきっかけに大きく変わりました。

「ゲイであることも普通なんだから、普通にふるまえばいいんだよ」

この言葉は、当時カナダで知り合ったゲイの知人に言われたことです。

たぶん、これだけでは意味がわからないと思います。

私も最初はそうでした。

その意味がわかったのはカナダで恋人ができて、仕事をして、いろんな経験をした後にわかりました。

レストランでウェイターをしていたとき、ある女性のお客さんが来店して、別の店舗で買った持ち帰りの袋が破れたので新しい袋をくれないかということで、私が対応しました。

袋を渡すと、彼女は自然に「ありがとう。これ私の彼女のためなの」と言いました。

おどろきました。

なんでかって、あたかも「あたりまえ」のように同姓のパートナーのことを私に言ってきたからです。

別の日には、持ち帰りで来店した男性のお客さんが二人分の料理を頼んだので、

「友達とたべるのかい?」と聞くと、

「いや、家で彼氏が待ってるんだ」と、

さらりと同姓パートナーがいることがわかるような発言。またびっくり。

考えてみると、あの時、ゲイの彼が言ったことはこういうことなんじゃないか。そう思いました。

彼ら・彼女らにとっては、この生活が普通なんです。あたりまえなんです。

だから特に躊躇することもないし、隠すこともしなかったんです。

ゲイであること、同姓のパートナーがいること、それが彼らにとっての普通なんです。

今の私:カミングアウトしないけど隠さない

私はカナダでは一部の人にカミングアウトしましたが、日本では全くしていません。

今のところ、聞かれたら答えるかなー。ぐらいのスタイルです。

とはいっても、その日の気分とか状況で伝えるかどうか決めています。

「隠している」という意識も今は特にありません。

それだけで、今は以前と比べても気持ちがとても楽になった気がします。

「ゲイであることは私にとって普通なんだ。皆がどうとか関係ない。」

他人は他人、自分は自分。これが私の生き方なんだ。

最近はそう思うことが多いです。

正直な話、今の日本社会にはまだLGBT当事者を受け入れるだけの器のようなものはまだないような気がします。

でも、私たちは存在しているし、これからの社会で必要な人材の一人だとも思います。

今のトレンド、多様性ですよね。文化も多様性、言葉も多様性、性も多様性です。

考え方も生き方も多様性です。

「隠してないけどカミングアウトもしない。」

アリだと思います。気持ちの持ちようで変わると思うんです。

社会が追い付けていなくても、私たちも自分と向き合って少し考え方を変えるだけで、少し楽になると思います。

ただ社会が変わってくれるのを待つのもいいけど、自分も少しだけ、無理のない範囲で変わらなきゃだめじゃないか。

今の私はそう思います。

だから無理しない程度に、「カミングアウトしないし必要ないと思う、でも隠さない」という生き方をしてみます。

そのうち変わるかもしれませんが、、、、、笑

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